「裁判を勝利する岡山の会」(障害者自立支援法)
裁判で勝利するには、裁判所の中の闘いよりも、外の闘いの方が大切だ、とよくいわれます。私達の代表を清水さんがしている、というつもりで、頑張らねばと思っています。憲法25条、13条、14条の違憲とした裁判では、朝日茂さんの朝日訴訟を思いおこしますが、朝日さんとの違いは、朝日さんは一人で闘ったけれども、清水さんの場合は、全国に約60人もの仲間がいる、ということです。今後、原告は増え続けるでしょう。あっちでも、こっちでも、全国の裁判所で闘っていると思えば、ほんとに心強いです。「裁判に勝利する岡山の会」を発足します。9月6日午前10時から12時まで、岡山県立図書館2階のホールです。皆さんの参加をお待ちしています。会への入会、年会費500円、も随時、受け付けています。宜しくお願いします。
それにしても、提訴するために、弁護士団はA4の紙にして、500枚にもなったそうです。その枚数を聞いただけで、大変だあ、とびっくりしました。それだけに、裁判官はほんとに真剣に当事者の話しを聞いて、調べて、実態を把握してほしい。
コメント募集中障害者自立支援法訴訟
いよいよ、25日に清水さんが岡山地裁に提訴します。清水さんは、奥さんと二人で、年金のみの生活です。様々なサービスを利用するには、費用がかかるので、受けることのできるサービスよりもかなり少なくしています。たとえば、家事援助は、障害者認定では1ヶ月20時間受けることができますが、実際は5時間で、やっと、生活をしています。体力的にも、家計の面でもぎりぎりです。ところが、認定の更新時には、その事情を認めてもらえず、使っているサービスが少ないからと、時間数を大幅に削られたそうです。これ以上、身体になにかがあれば、暮らしていけない、と言います。
憲法14条「平等権」で、障害を持つ人が、持たない人と同じように社会参加や生活をすることが謳われていますので、当然国は清水さんにサービスを無料で提供するべきなのです。ところが、兵庫県の方が提訴している兵庫訴訟での国の答弁は「自立支援法は障害を持つ人だけに適用する法律だから傷害を持たない人との差別や区別が問題となる余地はない」というとんでもない理由を述べています。
こんな、国の言い分は許すわけにいきません。皆な原告になったつもりで、裁判に訴えようとはりきっています。応援、支援、宜しくお願いします。
コメント募集中命の重み
ある会合で、70歳過ぎの婦人が、人生を終えるにあたって、延命策は望まない、と発言されました。誰でも、PPK(ピンピンころり)を望んでいるにはいるけれども、その理想がかなえられなかった場合、どうなのか、という命題があります。いつまでも健康にと心配りはしているけれども、現実どうなるかわからない。
その気持ちはわからないではないが、私は、最近、支援員として行くようになった、重度心身障害者のセンターの事を思い出しました。学校を卒業した後、在宅にはしたくないと、お母さん達が頑張って作った介護支援センターです。食事も排泄も移動の全て、介護が必要です。障害の原因によって、首のすわりがまだ、しっかりしていない人、麻痺のために、身体が硬直してしまっている人、一人では、1日も生きていけないでしょう。
皆な、毎日、生きよう、というオーラが切々と伝わってきます。その事を思う時、与えられた命をそうそう、粗末にしてはいけないと心密かに反論していました。
コメント募集中お墓まいり
今年もお盆が近くなり。お墓参りに行きました。80過ぎの母のお供も含めて、8箇所のお墓巡りをしました。児島半島に稲葉家、三宅家のお墓はあります。
その中で、二人の戦死者のお墓があります。軍人のお墓は、家族墓とは別になっている、特別の形をしているので、すぐに見分けがつきます。
一人の方は稲葉家の義叔父、「昭和20年7月、24歳、ニューギニヤにて戦死」、もう一人の方は三宅家の義伯母の父、「昭和14年、河北省にて、名誉の戦死、33歳」と掘ってありました。
もっと、もっと生きたかっただろうに、本人の無念さと家族の悲しみをおもって、しばらく、手を合わせました。そして、どうしても怒りになるのは、二人とも靖国神社に祭られていることです。そのことを思うとき、衝動的に取り返したいという気持ちになりました。国の政策で殺されたのにもかかわらず、その反省のかけらもなく、「戦争は正しかった」とし、その宣伝に余念のない場所に祭られることこそ、本人達が一番嫌がっているに違いないのに、という感慨でいっぱいになりました。
コメント2通千葉・房総の旅
4月の半ば、千葉・房総半島をレンタカーで走りました。走行距離330km、1泊2日の旅でした。東京・成田駅からひたすら東へ東へ車を走らせ、やっと犬吠崎へたどりついたら、眼前に白い波と真っ青な太平洋があらわれました。高知の太平洋が南の端としたら、此処は東の端の太平洋です。初夏のさわやかな風を受けて開放感に浸り、九十九里浜へと車を走らせました。江戸時代には、和歌山、近畿から猟師が進出して鰯漁をやり、肥料、魚油で大儲けをしていたそうです。鰯漁と言えば、金子みすずの「いわしのとむらい」の詩を思い出さずにはおれません。ひたすら青い海の中では、生き物の世界広がっている
勝浦、鴨川あたりは、リゾート地の宿泊場所として、大きなホテルが林立していましたが、勝浦湾にある小さな漁港の浜辺に建てられた温泉に宿をとりました。部屋のすぐ前が浜辺、水平線に落ちる夕日を見ることができるそうですが、到着は、その時間を過ぎていたのが、残念!!。だけど、耳をすますと、波が浜辺に打ち寄せる「ザザーッ」「ザザーッ」という音が、聞こえます。幼少の頃ふと![]()
んの中で聞いた瀬戸内の海の波の音を思い出して、郷愁に浸ることができて、感激!!!。
今回は太平洋を見ることを目的に、ひたすら、房総半島の海岸線を走りました。東京湾側に入ると、日本を代表する巨大な京浜工
業地帯を走ることになり、現実の生活に押し戻されました。
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